私達の身体は、色々な種類の細胞が数多く集まってできています。例えば、皮膚の細胞、胃粘膜の細胞、肝臓の細胞 等々、其々の細胞が集まって、其々の細胞組織(臓器⇒個体)がつくられています。その組織の中で、近接する細胞同士は、互いにコミュニケーションを取り合い、組織統制を成しています。もし、組織が損傷を受けた場合、正常な細胞は分裂増殖して、損傷部を再生し、その後、増殖を停止します。ところが、がん細胞は細胞同士のコミュニケーションを無視して、無制限に分裂増殖を繰り返します。
では、どうして がん細胞は、そのような勝手な行動をとるようになったのでしょうか?
その答えは、細胞分裂増殖のメカニズム(細胞周期の制御システム)に求めることができます。
即ち、がん細胞は、細胞周期の制御が壊れた細胞なのです。細胞周期とは、細胞が分裂増殖する一連の過程のことで、G1期(細胞外情報の収集 / S期に入る準備)⇒S期(DNA合成)⇒G2期(分裂準備)⇒M期(分裂)⇒に分けられています。そして、分裂増殖をしている細胞は細胞周期の中にあるといいます。前ページのイラスト(1)と(2)は、初期のG1期からS期に入るまでの過程で機能する色々な蛋白質を、(わかりやすくイメージできるように)キャラクターとして表しています。
実は、この過程で働く色々な機能蛋白質の異常が、がん細胞の誕生に大きく、関わってまいります。まずは、細胞内で行われている正常な過程を説明して、その後 がん化に関係してくる事項をピックアップしていきます。


イラスト(1) 細胞質内 制御シグナル(正常)編

細胞の分裂増殖の始まりは、EGFEGFなどの増殖因子(細胞分裂増殖の許可証」みたいなもの)が、細胞膜上のEGFREGFR(増殖因子受容体:増殖許可情報を細胞質内へ)に結合します。
すると、2つのEGFRはくっ付きあって、お互いをリン酸化リン酸化します。リン酸化というのは、機能蛋白質の働きをスイッチONの状態にする(活性化させる)ことです。活性化されたEGFRにGrb2Grb2という蛋白質が結合して、さらにSosS o sというGTP交換因子が結合します。
S o s蛋白質は、RasR a s蛋白質にGTPGTPを与えて不活性型Ras不活性型R a s(GDPGDP結合型)から活性化型(GTP結合型)する働きをもっています。活性化したRAS蛋白質は、RafR a fという機能蛋白質を活性化して、R a f ⇒ MEKMEK ⇒ MAPKMAPKを順次に活性化します。(この過程は、MAPカスケードとよばれます) 活性化したMKPKは、細胞核に入り込んでMycM y c遺伝子を発現させます。
M y c遺伝子の産物は、S期に入るために必要なサイクリンDサイクリンDなどの転写因子(DNA遺伝情報を RNAに写す働き)として働きます。そして、サイクリンDが産生されます。

イラスト(2) 細胞核内 制御シグナル(正常)編

細胞核内に入ったサイクリンDサイクリンDは、CDK4CDK4と結合して複合体となり、CDK4を活性化します。活性化された、CDK4は、E2FE2Fと結合したRBRBをリン酸化リン酸化して、E2Fを解離させます。解離されたE2Fは、DNADNAの転写因子として働き、サイクリンEサイクリンEなどの機能蛋白質を産生させます。サイクリンEは、CDK2CDK2と結合し複合体なり、CDK2を活性化してRBからE2F-1E2F-1を解離させます。解離して活性化されたE2F-1は、S期の開始に必要な蛋白質をコードするDNADNAの転写因子して働き、その結果、細胞はS期に突入します。しかし、この過程でE2F-1が過剰に働くと、細胞増殖の制御が働き、p14ARFp19(p14)蛋白質が産生されます。

がん細胞を説く 解説編2

P19(p14)は、p53p53と結合している MDM2MDM2を解離させて、p53を自由にします。 そして、p53の働きにより、細胞はアポトーシスアポトーシス(細胞死)を迎えます。 一方で、損傷したDNADANが物理的ダメージを受けて損傷すると ATM蛋白質ATM蛋白質が産生されます。 ATM蛋白質はp53のMDM2との結合部位をリン酸化して、MDM2がp53と結合できないようにします。 そうして、p53は、MDM2の束縛から抜けることにより、その半減期を長くとります。 結果、p53は転写因子として働き、p21蛋白p21蛋白を産生させます。 p21蛋白は、CDK2と結合して、その働きを抑えます。そうして、RBとE2Fの結合が保護され、S期移行が抑制されます。


以上、正常な細胞が行っている細胞周期(G1期からS期)過程を、簡単に記しましたが、細胞周期機構は、本当はもっと複雑で、増殖因子の種類も他にたくさんあり、 R a s蛋白を中継しての増殖シグナル伝達回路も、他に色々あります。しかしながら、がん細胞の誕生メカニズムをわかりやすく説明するために、あえて関係の薄いものは、割愛しました。
さて、これからが、「がん細胞を説く」の本題です。
前にも記しましたが、《細胞周期:G1期 ⇒ S期で働く色々な機能蛋白質の異常》が、がん化に関わってきます。当然ながら、それらの蛋白質の異常は、 その設計図である遺伝子(DNA)の突然変異や異常発현に起因していますから、細胞増殖の促進(アクセル)に関わる、増殖因子/レセプター/Ras/などの蛋白質を コードする遺伝子がおかしくなったら、それは「がん遺伝子」して機能するわけです。 一方、増殖を抑制(ブレーキ)するp53/RBなどの蛋白質をコードする遺伝子は「がん抑制遺伝子」として働きます。
細胞のがん化(増殖機構の暴走)を車の走行(暴走)に例えてみましょう。 どんなにアクセル(がん遺伝子)を踏みんでも、ブレーキ(がん抑制遺伝子)が効いていれば車は暴走しません。そして、ブレーキが壊れていても、アクセルを踏まなければ車は前に進みません。 即ち、細胞のがん化(増殖機構の暴走)は、増殖のアクセル「がん遺伝子」とブレーキである「がん抑制遺伝子」の異常が重なって起こるわけです。


イラスト(1) 細胞質内 制御シグナル(がん化)編
※細胞増殖因子の増幅・発現
細胞の増殖は、増殖因子の出現により始まりますが、増殖因子の一つあるPDGF(Platelet-Derived Growth Factor 血小板由来増殖因子) とサル肉腫ウイルスの癌遺伝子V-Sisの産物が類似していることがわかっています。増殖因子が必要以上に産生された環境に、細胞がおかれることも、がん化の要因になります。
※増殖因子レセプターの増幅・異常
EGFレセプターの産生増幅や異常も、がん化に関係してきます。正常のEGFRは、EGFが結合して活性化されますが、 ヒト乳癌やヒト卵巣癌で見つかっているEGFR(原がん遺伝子:ERBB2 V-erb-b2) は、EGFが結合しなくても、自発的に活性化するように変異しているので「増殖せよ」シグナルを細胞の中に常に流し続けます。

がん細胞を説く 解説編3

※機能蛋白異質-常時活性化 - Src
イラスト(1)左下のSrc 蛋白質は、ニワトリに肉腫を発生させる がんウイルスから、「がん遺伝子」として、世界で初めて発見された遺伝子の産物です。 本来は、正常細胞の中にあって、増殖や細胞形態に関係する遺伝子がウイルスに取り込まれて変異したものです。 正常時のSrc(不活性型)Src蛋白質は、他の機能蛋白質と結合する部位が隠されていますが、変異したSrc(活性型)Src蛋白質は、結合部位が常に露出されていて、ビンキュリンなど、色々な働きをする蛋白質を活性化させ、増殖促進に働きます。

※Ras蛋白質の-常時活性化
Ras蛋白質は、レセプターからの「増殖せよ」シグナルの受けて、その情報を、下流の色々なシグナル伝達回路に中継します。 正常なRas蛋白質は、短期間で自らの持つ、GTPaseにより不活性になりますが、変異したRas蛋白質は、常に活性化した状態で、「増殖せよ」シグナルを送り続けます。 即ち、細胞増殖のアクセルを踏みこんだ状態が維持されることにより、がん化に関係してきます。こうした、異常なRas蛋白質を産生する 因となるRas遺伝子の変異は、ヒト膵臓がん、ヒト大腸がん、ヒト肺がん など、多くのヒトのがんで見つかっています。 H-Ras遺伝子は、ヒトの「がん遺伝子」としては初めて、膀胱がんからみつかりました。 驚いたことに、正常なRas遺伝子と比べてみると、たった一つだけDNAの塩基配列が違っていただけでした。 生命の糸は、本当に神秘なものですね。

※細胞増殖シグナル伝達に携わる機能蛋白質の常時活性化
Rasの下流で働く、細胞増殖に関係した機能をもつRafなどの蛋白質も常時活性化されると、がん化に関わってきます。

イラスト(2) 細胞核内 制御シグナル(がん化)編
イラスト(2)の左上で、p53とRBを抱え込んでいるのが、SV40という がんウイルスのより産生されるSV40-LT大型T抗原と呼ばれるものです。 この抗原は、細胞増殖を抑制する主要な蛋白質であるp53とRBの機能を失活させることで、E2F転写因子の働きを高めます。即ち、この抗原の働きにより、細胞増殖のブレーキが壊れた状態になります。

※DNA情報の発現に関係する蛋白質の質的及び量的な変化
サイクリン依存性キナーゼ(CDK4 / CDK2) インヒビター(〜を阻害する物質)である、p16p16は、CDK4と結合することで、サイクリンDを切り離して、CDK4を不活性化します。 また、p53の転写機能によって産生されたp21も、CDK2を不活性にします。その働きにより、RBの働きを保護して、細胞増殖を抑制します。 P16は、細胞が老化して、分裂寿命に達したりすると発現される蛋白質で、多くのヒトがんにおいて、p16が失活していることがわかっています。

※DNA情報の発現に関係する蛋白質の質的及び量的な変化 - Mcy
サイクリンDなど、細胞増殖に関する蛋白質の転写因子。その設計図であるMcy遺伝子の発現は、胃がん、肺がん、乳がんなど、多くのヒトがんで見つかっています。 Mcyが多く産生されると間接的ですが、RBやp53などの働きが制限されて、結果、細胞増殖ブレーキが効かなくなり、さらにアポトーシスが回避されるようなります。

がん細胞を説く 解説編4

※細胞分裂寿命の延長(がん細胞の不死化)
イラストには、描いていませんが、細胞が分裂する度に、テロメアDNAというものが短縮されてきます。 そして、テロメアが短くなってくると、いずれ細胞は分裂できなくなります。
がん細胞は、あたかも不死化した細胞のように分裂増殖します。
実は、多くのヒトがん細胞では、テロメアを延長させるテロメラーゼという逆転写酵素が活性化されています。 p53やRBが失活すると、アポトーシスが回避され、細胞の分裂回数がふえるのでDNAの変異も蓄積され、細胞寿命を制御しているテロメラーゼ遺伝子の変異、抑制分子の失活がおこる可能性も高まります。


《 まとめ 》

がん細胞は、細胞周期の制御が壊れることで誕生してきます。
その「壊れ」の具体例を、これまで記してきました。
「細胞周期制御の壊れ」は、「がん遺伝子」と「がん抑制遺伝子」の質的、量的な変異によるものです。 「がん遺伝子」と「がん抑制遺伝子」の変異は、細胞を常に攻撃している「化学発癌物質」,「放射線」,「発がん性ウイルス」により起こります。

これまでに、色々と難しい名前の蛋白質や遺伝子が出てきましたが、イラスト(1)(2)を見ながら、1mくらいの大きな細胞をイメージして、その中でイラストに描かれた機能蛋白質キャラクターを思い浮かべ、動かしてみてください。
そして、解説(1)(2)(3)(4)を少しずつ読んでいけば、「なんとなく、がん細胞の誕生のしくみが、わかったなあ」と言っていただけるものと信じております。

Cancer Cell ペーパーモデルの底面に、より簡単にした「がん細胞の誕生メカニズム」を記載しております。 そちらの方もご覧ください。